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宇宙意識に遭遇するLSDの旅

記事公開日

21-01-24

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日本語版への前書き

エハン・デラヴィ(編集:クリス・ベイシ)

今や半世紀以上も前となる活気あふれる60年代の当時のバズワードは「アシッド」であった。「ドロップ・アシッド」、「アシッド・トリップ」、「アシッド・フラッシュバック」、「バッド・アシッド」や「ヘヴィ・アシッド」などの言葉が思い浮かぶ。アシッドとは、もちろん我々若いヒッピーたちがLSDにつけた俗称だ。LSDはスイス人科学者アルバート・ホフマンによって1938年に合成され、1943年にはホフマン自身、偶然ではあるものの、世界で始めてこの成分の幻覚作用によって「トリップ」している。当時何百万人もの私のような若者たちが、大いに楽しむため、または、奇妙で素晴らしい幻覚体験をするために摂取したのである。

LSDの使用に関しては、闇の計画も存在した。1950年代には米国政府によるLSDを使ったマインドコントロール実験が秘密裏に行われた。私がLSDを試し始めた1969年には米国では違法の薬剤となっていたが、それも近々変わるかも知れない。2020年にオレゴン州で行われた住民投票により、LSDは非犯罪化された。ホフマンはLSDは社会には何ら危険を及ぼさないという主張を貫き通したが、活気あふれる60年代がその評判を損ねたのだ。ホフマン自身はずっと使い続けて102歳という高齢に至るまで寿命を全うしている。というわけで、この本の中で語られる探究というのは、現在日本で禁止されている成分によって可能となったものである。禁じられた果実なのである。この点については読者の皆さんは徹底して理解する必要がある。欧米諸国と違って日本では精神的疾患に対するLSDの療法的使用に関する研究は一切行われていない。

クリス・ベイシが20年かけて行った秘密に行った実験についてのこの素晴らしい物語をお読みいただくにあたり、当時彼が住んでいたアメリカでは、彼のしていたことは法律によって禁じられていたことを忘れてはならない。このことについて彼は真摯に受けとめ、彼は体験を40年間隠し通すこととなるのである。しかしながら、時代は変わる。人によって変わるのだ。ベイシ博士のような人によって。

私は独立した研究者であり、執筆家であり、映画製作者である。私の中心的なテーマはこれまでずっと一貫して「意識はどうやって存在するのか?私たちはどうやって思考し、夢を見、ビジョンを得、記憶するのだろうか?」ということであった。驚くべきことに、私たちの思考や記憶の背後にいつも潜んでいる「私」、感じたり感情に触れたり、明晰夢者ならば誰でも知っているように決して眠ることの無い「私」という曖昧な存在を説明できる科学的データはどこにも存在しないのである。脳科学が発展すればする程、私たちが「意識」と呼ぶこの魔法のような存在は遠のいていくのである。

この謎を解くべく、私は様々な角度から取り組んできた。精神探究や個人的体験はもちろんのこと、科学的研究に関する調査も行ってきた。私は科学者では無いが、このご時世オープンマインドを持ち、探究心さえあれば、誰もが「科学的な」研究を行えるのである。最先端科学について学びたければ、その最善の方法は、当然ながらその分野の進歩におけるチャンピオンと対話することである。これ故に、私は、1990年初頭以降の数多くの科学者、哲学者、執筆家、思想家をインタビューすることを自分の使命としてきた。彼らに関する情報を、本や講義を通して日本人の皆さんと共有させていただきながら、このような学校や大学では教えてくれない情報に対する渇望が、日本人の皆さんの中に強く存在することに気づいた。日本人の皆さんも、全ての人間がそうであるように、イブが有名にしたかの禁断の果実について知りたいのだ。私たちは皆、本来より深い真実を求める探求者なのだ。本当に知りたいと思うならば、私たちは実際に遠く深く旅をした人の話を聞かなくてはならない。私は幸運にもそういう方々と数多く出会うことができた。彼らの洞察をいくつか紹介したい。

クリストファー・ベイシの研究は、現代のオルダス・ハクスリーから始まり、その後も続く一連の幻覚剤研究の流れに乗っている。ハクスリーは、きのこから抽出されるシロシビンを使って知覚の扉を開き、まさにそのタイトルの著書を我々に残している。ぜひ皆さんにも変性意識状態に関する文献の中の古典である「知覚の扉」をお読みいただくことをお勧めしたい。正に新天地を切り開き、実際に人々の知覚の扉を開いた。人々は、人類進化の起源から存在していたのでは無いかと思われるこれら禁断の果実について話すようになったのだ。

京都(1992年):1974年に京都に禅を学ぶために来日した時には幻覚剤の使用は一切辞めていた。その当時の私は、心理学の中でもとりわけ深層心理学について学ぶことに傾倒していた。国立京都国際会議場でトランスパーソナル国際会議が開催されると知った時、私はすぐに来日講師陣のためのボランティア通訳を申し出た。間もなくそのパイオニアの一人であるスタニスラフ ・グロフ博士と会った。グロフはLSD療法の療法的効果の主唱者である。 彼のことはこの本の中でより詳しく書かれている。なぜならベイシ博士の人生の方向性を変えたのが、他ならぬグロフの研究だったからだ。

ほぼ同時期に私は京都でジョン・リリー博士とイベントを共同主催し、ベースとなった吉田山で一週間を共に過ごした。彼も献身的な科学者で、アイソレーションタンクを発明し、自身でタンクの無重力環境の中で浮かびながらLSD実験を行った。彼は私に様々な洞察を共有してくれたが、中でも、私たちの信念システムがいかにして私たちの現実を創り上げるかについての洞察が特に印象的であった。LSDが未だ合法だった頃に、リリー博士自身タンクの中でLSDを使って様々な変性意識状態を体験している。リリー博士は、私がこれまでに会った中で最も強力な個性の持ち主で、彼の影響で私は種間コミュニケーションについて探究するため野生のイルカと泳ぐようになった。彼が浮揚タンクを発明するきっかけとなったのがイルカの存在だったのだ。一日中泳いだり食べたりするだけで、どうしてあれほどまで大きな脳が必要なのかをどうしても知りたかったのだ。

その1〜2年後、LSDを推進したことで酷評されていたティモシー・リアリー博士の講義に出席した。リアリー博士はハーバード大学の心理学教授であったが、幻覚剤体験により深遠な目覚めを体験したために、それを使って世界を変えられるのでは無いかと考えたのだ。彼のスローガンは世界中に知れ渡った。Turn on(ドロップ・アシッド = LSDを飲もう)、Tune in(他の意識レベルにチューニングしよう)、Drop Out(社会を抜け出そう)。リアリー博士がいかに米国政府にとって危険視されていたかは、彼が僅か2本のマリワナ所持により20年もの禁固刑を処せられたことからもお分かりいただけるであろう。後に彼は研究を継続するため刑務所を脱走している。(とても奇妙なことに、刑務所に入る際に彼が与えられた心理テストは、正にハーバード大学で彼自身が作成したものだったのだ!)
ハクスリーは、学者や専門家がまずは先に禁断の果実を使用してから、その次の徐々に一般の関心を向けるのが良いと信じた。リアリーは、それとは逆の戦略を推進したのだ。彼は、全員がLSDを摂取することで、新しい世界の見方に目覚めるべきだと考えたのだ。今にしてみればハクスリーの理解が正しかった。欧米諸国では幻覚剤ルネッサンス が訪れようとしている。より多くの国々が幻覚剤を非犯罪化し始めていて、また、人間の心理や、脳の働き、一般的な幸福感に対する効果を研究すべく研究センターが設立され始めている。被験者の安全と健康を推進する療法的セッティング及び適切な指導のもとで幻覚剤を使用した場合には、とても良い効果を脳に持たらすことが分かっており、神経化学研究分野おける飛躍的な前進を示している。日本はこの分野においては残念ながら遅れを取っている。

私自身が研究する中で、これまでに数多くの研究者と会い、インタビューをし、そして彼らから学んだ。しかしながら、上に述べる方々に共通して言える特徴がある。それは、彼らが皆学者であり、批判理論に精通しているということである。彼らは最大限に客観視するよう訓練されているのである。この本の中で語られる内容のように、その内容が、いかに主観的なものであろうともである。この本の中で語られる自我死の体験は、私たちが遅かれ早かれ、いずれ肉体の死の際に全員が体験するものである。ベイシ博士が体験した自我死のレベルは、これまでの幻覚剤文献や世界中の精神世界の文献でさえも報告されて来なかったレベルのものである。スーフィ教徒は、これをファナー(fana)と呼ぶ。消滅という意味である。


私はクリス・ベイシを2日前にインタビューした。私の想像通り、彼は70歳代前半の、深い慈悲心と謙虚さ溢れるとても若々しい人であった。LSDを使って20年間宇宙のマインドを探究した成果である。20年もの間、彼は、存在の最も偉大なマインドと連続して話したのである。簡単では無かった。むしろ、彼にとったは苦悩に溢れていた。禁断の果実が禁断であるにはちゃんと理由があるのだ。しかしながら、勇気を奮い起こし、責任を持ってこの果実を食べようとするものに対しては、その報酬は全ての期待を上回るものとなるのである。
全73セッションのそれぞれのセッションに入る前の気持ちは、まるで戦争に行く前の兵士か、または、出産前の女性のような気持ちだったとベイシは言う。LSDをレクリエーション目的で使用した私たちヒッピーやその他の人たちと違って、ベイシは規律ある哲学的な問いとして、きちんとコントロールされた状況下で使用した。つまり、外の世界から隔離された場所で、臨床心理士のシッターによる見守りのもと、中断されない配慮がなされた環境で、横になり、目を閉じて、慎重に選ばれた音楽を聴きながら実施したのだ。彼がこれらの幻覚剤の旅で学んだ内容は、私の謙虚な意見を述べさせていただくと、これまでの最も偉大な精神世界の文献に匹敵するものであると思う。したがって、私がこの深遠なる本の日本での出版に携われたことは、私にとって心からの栄誉である。親愛なる読者の皆さんのために「もしも禁断の果実を食べてしまったならば、果たして一体何が起きるのか?」を知ることを可能としてくれた出版社ナチュラルスピリット社ならびに翻訳者ジュン・エンジェルにお祝いの言葉を表したい。

エスクワイモルト、バンクーバー島
ブリティッシュコロンビア州
2021年1月15日